● 此のガマから此のガマの油を採るにはどういう風にするか?
● こんなによく効くがまの油だけれども効かないものが四つあるよ。
まずは・・・・・・。
● 刀の差し表、差し裏に手前のガマの油 塗るときには、 刃物の切れ味ピタリと止まる。
アーラ塗ったからたまらない。刃物の切れ味、ピタリと止まった。
打って切れない。叩いても切れない。
●刀物に付いておりまするガマの油、この紙をもちまして、きれいにふき取
るならば、刃物切れ味がまた元に戻ってまいりまする。 触っただけで赤い
血がタラリタラーリと出る。
● 血が出ても心配はいらない。此の膏薬をば、この傷口にぐっと
塗りますると、ピタリととまる血止めの薬とござりまする。
[答]
ガマの油は、“油”ではありません。外用薬です。“油”の語が用いられているのは、今から約400年前、大坂の陣に徳川方として従軍した筑波山・中禅寺の住職であった光誉上人が、ガマガエルの耳後腺および皮膚腺から分泌物される蟾酥(せんそ)に薬草や馬の油を混ぜで練って作ったものが、切り傷、擦り傷などによく効いたという言い伝えがあります。
陣中で薬効あらたかであったため陣中油とか陣中膏といわれるようになりました。なお、ガマガエルの耳後腺および皮膚腺から分泌物される蟾酥(せんそ)には強心作用、鎮痛作用、局所麻酔作用、止血作用があると言わ れています。
[答]
侍の格好をして片手に刀を持った油売りが、「さぁ、さぁ、お立会い・・・」と口上を言いながら技芸を披露し路上でガマの油を売ったものを芸能化したもので、 茨城県は筑波山の名物です。江戸時代末期、永井村の兵助が居合抜きの技と口上よろしく露天で売ったのが始まりで、明治にかけて縁日などで売られ、販売のために述べる口上が広く知られるようになりました。
現在では薬事法の規制によってガマの油を売ることは禁止されていますが、昔のガマの油売りの口上と仕草を芸として演じるのが筑波山に伝わる大道芸 “ガマの油売り口上”です。
毎年秋、筑波山神社界隈で開催されるガマ祭り、是非、ご覧ください。
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兵助は切るぞ切らぬぞなど刀を振り回して人を引きよせ口上と技芸を披露してガマの油を売った。薄利多売の商売には集客のためにプレゼンテーションが欠かせない。お客さんに強いインパクトを与えるためには、「視覚に訴える」「聴覚に訴える」「話し方 を工夫する」ことが大事。永井兵助は筑波山にある奇岩”ガマ石”でガマ口上を考えた。
江戸時代の薬売りと兵助が編み出した刀を使ったガマの油売り、兵助は商売が上手かった。
[答]
袴をはいて、鉢巻を頭に巻き、片手には刀を持つといった侍の格好で行います。威勢のよい声で「さぁ、さぁ、お立会い・・・・・」といったガマの油売りの口上を喋りながら、芸をします。
「刀で切った傷口もガマの油を塗れば、お客さんがタバコ一服吸わぬ間に、ピタリと止まる血止めの薬。ホーレ、ご覧の通り。」 「ピタリッと止まった!」 と、いうお話です。
また、「ガマの油売り口上」は「売り口上」、即ち、セールストーク、プレゼンテーションの一例です。口上の文章は、下図のように7つの段落で構成されています。
鯛もヒラメも食うた者が知る。百聞は一見に如かず。是非、ご覧なさって下さい。
[答]
筑波山麓の新治村(現、土浦市)の永井に伝えられる
"永井村の兵助"
の話によると、兵助は百姓の長男として生まれました。 1753(宝暦3)年、16歳のときに江戸深川(東京都江東区)の木場問屋で働くかたわら、がまの油を売るため、居合い抜きで歯磨き粉の売った技法を取り入れ、口上に工夫を凝らし、武士の衣装をまね竹光を派手に振り回してガマの油を売るに至ったと伝えられています。これがガマの油売り口上の初代名人、永井兵助です。
人口推移から見ると永井兵助は1753(宝暦3)年、16歳が江戸に出たと言い伝えられているので、生まれたのは16年前の1737(元文2)年、没した年は不明であるが仮に60歳と仮定した場合、1796(寛政8)年。彼が生きたのは、元号でいうと元文、寛保、延享、寛延、宝暦、明和及び安永の時代です。
永井兵助は、いわゆる、田沼の改革で知られている田沼意次(1719年~1788年)と同じ時代の人間でした。この時代はどのような社会だったのでしょうか。田沼の改革の時代は、その政策で都市の特権商人の力を強めましたが、反面物価高騰のため都市の町人の生活を苦しめました。また、農村では殖産産業の進展によって寄生地主や豪農が出る一方で、年貢の取立てが厳しかったこともあって茨城県内各地で百姓一揆や村騒動が起こっています。
農政のうちで、最も注目されるのは人口対策です。江戸時代の農村は、たび重なる飢筐や伝染病の流行、高い乳幼児死亡率、加えて堕胎や間引きによる人口制限などにより享保以降人口は停滞しています。
一般的に活力に満ちた豊かな社会は人口が増えますが、反対に活力が衰えた社会は人口が減少します。人口の増減の推移をみればその時代の世相が推察できます。水戸藩領を例にとれば、1732(享保17)年に約31万人あった人口が、1798(寛政10)年には約23万人にまで減少しています。その最大の原因は間引きでした。
農民が奉公などで村から移動する際の届けを厳正にすることによって、農民が無断で離村することを防ごうとしましたが、これらの対策は、当座はある程度の成果をあげましたが、疲弊した農村からの農民の流出防止には限界がありました。
没落した農民は貧農、小作農、日雇などになり、都市へ流出して下層の暮らしをするか、無宿になるものが出るなど、百姓では食っていけない社会でした。このような世相であったので、田沼の改革で一時的に人口がピークに達した年もありましたが、一貫して人口が減少しています。
永井兵助は1753(宝暦3)年、16歳のときに江戸・深川の材木屋で働いた。呑んだくれであったとか、筑波山に参詣した際、山頂尾根の参道沿いにある奇岩・珍石をみてガマの油売りで身を立てようと一念発起したなどと言い伝えられているのは、このような江戸時代後期の農村社会を反映しているといえます。農村では食べていけなかったのです。
[答]
江戸時代、徳川家康に仕えていた光誉上人という筑波山中禅寺の住職が、大阪冬の陣(1614年)、大阪夏の陣(1615年)で筑披のガマの油を薬として使ったところ、その薬効が評判を呼び、有名になったのが「ガマの油」の由来です。また光誉上人の顔がガマに似ていたとする説もあります。
ガマの油売りが筑波山の名物となったのは戦後のことです。筑波の町おこし、観光の目玉として地元関係者が筑波山出身の光誉上人にまつわる言い伝えと結び付けて、筑波山のシンボルをとして売り出したのが始まりです。
筑波山ガマの油売り口上の名人、第19代永井兵助 吉岡久子さんが、 筑波山にけるガマの油売り口上が観光の目玉として脚光を浴びるようにな った経緯を語っておられますので、それを紹介します。
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ガマの油売り口上と私 吉岡久子
一言で言うなれば、近頃よく耳にする「むらおこし」であります。
昭和20年終戦を迎え資材の乏しい筑波山の観光を、お金をなるべく掛けないで何とかしたいと頭を絞ったのは、初代観光協会長であった筑波山江戸屋の第9代社長吉岡であります。つまり私の主人であります。
彼は薬剤士でありましたから発想は自然、薬と縁が多かったようです。
筑波山に自生する薬草を採取し母校東薬の学生さんたちと毎年夏休み中、山腹に薬草園を作ったり、筑波山に古くから伝わる筑波節・筑波小唄の歌に藤間流の大先生に踊りを付けていただき、お祭りには町中の者が踊ったり、その他いろいろ・・・・。 ガマの油もガマ口上も同じ産物であります。
ガマ口上は古くから伝えられていたそうですが本場のガマ口上は正調でなければならぬと、当時春風亭柳好師匠の十八番であったガマ口上をテープに入れていただくことから出発し現在があります。全国広しといえども、ガマの油売り口上で観光地をアピールしているところはないのではないでしょうか。今日では筑波山と云えば「ガマ」とすっかりお馴染みとなりました。
今後共勉強を重ね 皆さまに楽しんでいただける「ガマ口上」を目指してまいります。
(注)吉岡久子:政府登録国際観光旅館 筑波山 江戸屋の大女将
筑波山ガマの油売り口上の名人第19代永井兵助
[答]
香具師についての様々な薀蓄、もちろん口上も・・・・バナナのたたき売り、外郎売、万年筆売り、ガマの油売りなど・・・・多数あります。
「口上」の目的は、「それらしく聞こえること」、「何をいっているかわからないけれど、なんか面白そう」と通行人の足を止めることにあります。
”混む列へ何だ、何だと寄ってみる” と人を引きつけなければ ”商売” (もちろん、販売行為はいたしませんが) になりません。
科学的に考えると矛盾だらけ。蛸に骨なし、クラゲに目なし。 分かり切ったことではございませんか。お立ち合い! 理科の勉強、国語の授業ではございません。
香具師の口上は、「口調を楽しむ芸」と割り切って下さい。
[答]
治りません。見物していた歯医者さんから “治りませんよ” と即座に指摘されたことがあります。“さーすが、歯医者さんですね、よくおわかり!”と応えましたら居合わせた人の顔に、偽物も本物もありました笑い皺。
虫歯の治療は歯医者さんで処置してください。ほかの疾病に効くか?
お立ち合い、これを問うのは野暮なこと。口上には、誇張、オーバーな表現があります。 ガマの油売り口上は、「口調を楽しむ芸」と理解してください。
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