ガマの油売り口上発祥の地


   梅林にあった休憩所「おたちあい」


  ガマ石

 

江戸時代の絵図には竜石とある。

永井兵助は、この石の前でガマの油売り口上の文句を考案したとも言われている。


   光誉上人五輪塔


   筑波山大御堂と鐘


  安永9((1780)年春、江戸本石町三町十軒店 東都書林、前川権兵衛が出版した上生庵亮盛の『筑波山名跡誌』に大御堂中禅寺について下記の記述がある。

大御堂中禅寺

 坂東三十三所観音第二十五番。本尊は千手観音行基大士の作。山上諸神の惣本地とす。巡礼詠歌二首「大御堂かねてはつくばのねにたちてかたゆふぐれに国ぞゆかしき」「わしのみね飛来てここにつくばねの神や仏の浄刹(みくに)とぞなる。」

 

按ずるに初の一首は俗歌なり。後の一首は古来の詠歌也。山上には父母の二神、御子の一女、三男及ひ、六十末社鎮座し給ふ。

 

 半服には、仏菩薩天等を安置す。是れ後の歌下の句の意也。先代旧事本紀に云。就業の神社は、廬戸(いほこ)の宮大皇の時人王第七代孝霊帝也。西極国の諸神高鷲山の東北の隅を割取飛来日本の二神に貢奉る之依去諾(これよりいざなぎ)の大神去来冊(なみ)の大神此国に鎮座す。是後の歌上の句のよんどころ也。

 

或人問(とふ)。先には唐の五台山の一片飛来ると云。今又天竺(てんじく)の霊鷲山の一峰来ると。 天竺唐土一事両説にあらずや。答(こたう)霊鷲の飛来るは絶頂の二峰也。仍て日馴ぬ異木奇草ありと。又五台山の一片は男女川已下の半腹に加る。 仍て此辺り桜の樹多し。

 

  山上の諸神は神代より鎮座し給ふ。半腹の仏閣僧坊は、延暦年中徳溢(とくいち)上人の開基、其後大同年間高野大師結界して、密教弘通の道場と為(し)給ふ。尓(しか)しより千歳の今に至り、永々真言の法燈を挑(かか)ぐ。

 

尚亦天正文録の頃より将軍家の御崇敬浅からず神杜仏閣涌くが如くに興隆し、人法繁昌古しへの千倍なり。

 

  注1 原文は第廾五番

  注2 かたゆふぐれ 片夕暮。夕暮になろうとする頃。

  注3 ゆかし 「行く」からの派生。何となく見たい、聞きたい、好奇心がもたれる。

  注4 浄刹(みくに) じょうさつ。清浄な国土。浄⊥仏国。寺院の境域。

  注5 旧事本紀 原文は舊事本紀。旧事紀。神代から推古朝までの事跡を記した史書。 

  注6 西極国~鎮座す 原文は次の通り。

  西極国 諸神割 取高鷲山ノ東北ノ隅ヲ飛来奉レル

       貢日本 於神依之去来諾(いざなぎ)ノ大神去来冊(いざなみ)ノ大神鎮座 此国矣

  注7 五台山 中国山西省五台県の北東にある山。五峰あり。最高峰は30588m。

    峨眉山・天台山とともに中国仏教三大霊場の一。

  注8 己下 現在は以下が普通。

  注9 徳溢(とくいち) 徳一という。平安時代初期の法相宗の僧。最澄との仏性論争は有 名。常陸国筑波山に中禅寺を創建、奥州の慧日寺で死ぬ。

  注10 結果(けっか)修行の妨げとなる者の入るとを許さない地域。高野山。比叡山。

  注11 永々 原文は永く。 

 

         『筑波山名跡誌』上生庵亮盛著 解説 桐原光明 筑波書林19926月 


   男女川源流


 上生庵亮盛著『筑波山名跡誌』から男女川について 

男女川 

  此処絶頂に程近く、遭を遮る細流なり。二神の社地の下より出れば、男女川と名付る也。麓に落ては桜川といふ。川のはじめ至って細ければ、遠来の雅人も名所をしらで超行峯に登り手悔やむもの多し。これを見るに恨み聞くに嘆き、終に筆の短きを忘れ其ほとりの石をけ削り、拙き言の葉を残すものなり。 

  つくばねの、嶺より落る、みなの川、ふかき恵みはすべらぎの、五十七代(いそななつよ)を、しろしめす。

  陽成帝の御製にて、世々の歌人よみつづけ、此名の所、むかしより、かき集たる言の葉の、は山茂山、しげげれば、短き夢に及ばれず、仰げば高く、二なみに、いの字のごとく、そばだてる。 

 

  西はいざなぎ、男神山、東はいざなみ、女上山、分れし峯のあひだより、岩ほの下を、おのずから出る流れの、行く末は、麓に落ちて、渕となり、浪の花よる、佐倉川、わたる磯辺の春かかすみ、此面彼面と、したひ来て、こころつくば峯の川、ここぞと指(さし)て、いつまでも、朽ぬしるべに、残す石ぶみ。

    明らかに和らぐ みつのへたつの春

                         武原 上生庵誌焉     

 

 注1 すべらぎ すめろぎ 天皇

 注2 しろしめす 治めになると 

 注3 しるべ 手引き 導き 知り合いの人

 注4      誌焉 ここにしるすと読む。 

 

        『筑波山名跡誌』上生庵亮盛著 解説 桐原光明  筑波書林 19926

陽成院の歌

   陽成院の時代、三陸地方や関東地方等各地で巨大地震が起こっている。

 被災地視察時に歌ったのだろうか。



 ガマの油口上に「筑波山の麓、臼井、神郡・・・・」とある

     神郡の街

 つくば道、正面は臼井、筑波山


    田井から筑波山

    六所から筑波山


 かつては石岡、筑波を結ぶ主要街道だった 

     東山地区

  東山からスカイツリー方向

  


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